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第88号:感情に対して数字でデッドラインを設ける重要性

「シライ先生、社員のためにも、あの事業は残したいんです」こう仰るのは製造販売業を営むB社長です。

 B社には素晴らしい社風があります。社員のアイデアを吸い上げ、社員主体で事業を回しながらも、社長の方針はしっかりと浸透している。同じ方向を向いて進んでいる組織です。

 しかし、いくつか展開している事業のうち、ある事業だけが長年苦戦しています。過去の工場投資や店舗投資が重荷となり、多額の借入返済を抱えています。毎年の赤字は他事業の利益を吸収し、徐々に会社全体の体力を奪っています。

 組織は良い。儲かっている事業もある。しかし1つの事業が全体をひっくり返すほどの大きなインパクトを与えてしまうのは世の常です。過去をみれば、不動産・店舗展開・新規投資の失敗が、本業の黒字をすべて飲み込んでしまうケースは中小企業では珍しくありません。

 一般的に、このような状況で最も多く語られるのは「撤退」です。確かに数字だけを見れば合理的です。撤退すれば出血は止まり、現金の減少も抑えられます。

 しかし、こと中小企業経営ではそうもいかない事情があります。それは、「決して経済的損得だけで経営者は経営をしていない」という事実です。

 もちろん儲けを狙うのは当たり前です。そこには責任があります。しかしその裏側に、事業やビジネスが「好き」とか「やりがい」といった純粋な「気持ち」や、社員に対する感謝の「気持ち」があったりするのも事実です。そして「まだあの事業は再起できる!」という挑戦的な「気持ち」だってあるはずです。

 合理的に見れば撤退が妥当だとしても、必ずしも合理的判断だけでビジネスが成り立つはずなどあり得ません。当然です。ビジネスが成り立つのは結局のところお客様の「満足」「喜び」「解放」「面白い」という感情の動きだからです。特に、厚利安定型のビジネスを展開するなら、なおのことそうです。

 同じく、事業存続の意思決定も、感情を排除した意思決定の方が、感情にによる意思決定より優れているなど決して言えないのです。世の中では、感情的に撤退できずにズルズルと赤字を出した会社を揶揄することもありますが、一方で何くそという気持ちで状況をはねのけ、撤退せず粘り通して再起した例だって沢山あるのです。

 しかし、かといって感情だけで決めれば良いわけではないのもまたしかりです。利益とお金がなければ何にもなりません。ではどうするか?こういう局面で重要なことは、「社長の感情に対して数字でデッドラインを設ける」ことです。

 一般的には撤退基準と呼ばれるものですが、本質は単なる損切りラインの設定ではありません。社長自身の気持ちに対して、どこまで挑戦するのか?を数字で定義することです。

 粘るならどこまで粘れば、自分は感情面で満足するのか?それを売上・販売単価・販売数・粗利益・製造コスト・営業利益・現預金水準・借入返済額・追加借入可能額まで、時系列で感情デッドラインを可視化するのです。

 それは経済的なデッドライン(倒産水準)とは異なります。それは社長にとって「やり切った」「諦めがつく」という気持ちのデッドラインです。これにより社長はどこが本当のデッドラインかを知るのです。そして気持ちのデッドライン上で覚悟を決めるのです。

 そして不思議なことに、気持ちのデッドラインが見えると、同時に希望のラインも見えてきます。それが強力なモチベーションを生み出します。気持ちのデッドラインが引けることで、「全てが吹っ切れる」のです。

 その状態になって初めて、どの数字を変えれば未来が変わるのか?どの変数が利益や現預金に最も大きな影響を与えるのか?どこに手を打てば再起の可能性が高まるのか?それらが正しく設定されるのです。社長の視界がクリアになり、固定観念が外れ、起死回生の一手が生まれるのです。

 気持ちのデッドラインが引けていない状態では、本当に変えるべき数字が見えません。視界が曇っているからです。本当に変えるべき変数が見えなければ、過去の経験や既知の考えに凝り固まってしまい、現状を招いていることと本質的に同じことを繰り返します。

 その結果、焼け石に水的なコストカットや、安売り販売に手を付けてしまうという、経済的デッドラインへの急降下がはじまってしまうのです。

「社員のためにもあの事業は残したい」―その気持ちこそ事業推進の原動力です。だからこそ、その感情を数字で支える必要があります。気持ちのデッドラインを引き、数字構造を可視化し、その上で覚悟を決める。

 そのように、今までは見えなかった数字構造をクリアな気持ちで見ることで、起死回生になる変えるべき変数に気が付き、赤字を招いた思考行動とは本質的に異なる一手を繰り出せるのです。

 B社長の挑戦は今も続いています。感情と論理が一体となり、これまで発想もしなかった大胆な一手が次々と打たれています。そしてその一手が、少しずつ事業を希望のラインへ押し上げ始めています。

 貴社はいかがでしょうか?気持ちのデッドラインを引き、クリアな視界で事業と数字の本質的な構造を見つめ直していますか?

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